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06 ワットプーの不発弾

2008.11.01



ラオスの南部のチャンパサック地方にあるワットプーに行く時に色々と調べたら、ワットプーの周辺は不発弾が多いので気をつける様にとの記述に出会った。その時、カンボジアのクメール遺跡では対人地雷に気をつけなくてはならないが、ラオスのワットプーでは不発弾に気をつけるのか?と単純に思った。

ワットプーの不発弾はベトナム戦争当時のもので、ラオス北部のジャール高原の謎の石壺遺跡のあるシェンクワン県には、アメリカ軍の投下した爆弾は7,500トンにも及ぶという。そのベトナム戦争でラオス南部に位置するワットプー周辺にも同じ様に爆弾が投下されていたと考えていた。

NGOでタイとカンボジア国境にあるカオプラヴィハーン遺跡の地雷除去に携わり、タイの東北部の果てにあるウボンラチャターニー県に長期滞在したことのある方と飲みながら話していた時、ウボンラチャターニー空港の話になった。この空港はベトナム戦争時、アメリカ空軍のベトナム攻撃の最前線だった。

現在のタイの人は、このベトナム戦争当時のことをあまり話したがらないが、バンコクからウボンに向けて一直線に走る国道24号線の舗装は、ベトナム戦争時に戦車等が輸送できるように分厚く舗装されている事は、外国人の「ふうみん」でも知っている。

ベトナム戦争時のアメリカ軍爆撃機のパイロットには、当然ながら技量未熟なものもいる。飛行機の操縦の中で着陸は一番難しい。もし、未熟なパイロットが残った爆弾を積んだまま着陸に失敗したら飛行場は大惨事になる。

そのため、アメリカ軍の爆撃機はベトナム空爆の帰りに残った爆弾をウボン空港の手前のラオス領内に落とした。その場所がワットプーのあるチャンパサック地方だった。

この話を聞きながら、ワットプーへ行った時に不発弾と聞いて、ここまで直ぐに話が繋がらなかった「ふうみん」としては、自分自身を恥じる思いだ。青春時代にベトナム戦争の反戦映画「ベトナムから遠くはなれて」をリアルタイムで鑑賞した世代として。


2006年7月3日、遠山大臣政務官は、パクセー郊外で国連開発計画(UNDP)の支援を受けて(日本はUNDPに支援)ラオス政府が行っている不発弾・地雷処理現場、及びラオス南部のワットプー遺跡及び我が国の無償資金協力で建設した遺跡保存庫を視察した。


「ベトナムから遠く離れて」の入場券 1968年4月、日本ATG公開
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