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04 裏口入学的、クメール遺跡入門

2008.11.01



一般的と言おうか、正統的と言うのか、クメール遺跡との最初の出会いは、大部分の方がシェムリアップを基点としたアンコールワットやアンコールトムとの出会いだろう。あの、一ノ瀬泰造がアンコールワットを目指したように。

前にも書いたが、「ふうみん」のクメール遺跡との出会いはそれとは異なり、タイの東北地方イサーンだった。それまで、タイには1991年以降10回近く訪れていたがリゾート地でのゴルフが目的で、リゾート地の無いイサーンはまさに未踏の地だった。

ゴルフ好きの友人の死もあって、ゴルフから引退した「ふうみん」はタイへのレンタカーによるドライブ旅行を計画した。そのターゲットがメコンに会いにイサーンの大地を走ることだった。

タイの1/3を占める広大なコラート高原には、ところどころにクメール遺跡が点在していた。それも、有名なクメール遺跡を除くと忘れられたように大地の片隅に荒れ果ててポッンと佇んでいた。そして、最初はドライブ旅行の刺身のツマだったクメール遺跡の面白さに徐々に嵌り込んでいった。

そんな訳で、クメール遺跡についての知識はゼロからの出発だった。遺跡を見てもまぐさ石やレリーフの写真も撮らず、後で写真を見直すと不足だらけだった。帰って来てクメール遺跡関連の本も読んでも、最初は、まぐさ石(Lintel)の「まぐさ」は「牛や馬の飼料」のことだと思っていたぐらいのド素人だった。

だから、「ふうみん」のクメール遺跡への入門は正面玄関からではなく、イサーンという裏口からだった。アンコールと言う正面玄関から入った正統的クメール遺跡マニアのウェブサイトやブログ等を見ていると、どこか少し感覚が違うように思えるのは、裏口入学者の宿命なのか、それとも単なるひがみなのかも知れない。


イサーンの大地の片隅に佇むカオノイ遺跡
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