インドの仏教 INDEX HOME



■ 東南アジアは何故、上座部仏教なのか?


東南アジアの仏教事情

クメールのジャヤヴァルマン7世がバイヨン(12世紀)を創建し、チャンパのインドラヴァルマン2世はドンジュオン(9世紀から10世紀)を創建し、ジャワのダルマトゥンガ王がボロブドール(8世紀)を創建した。これらの東南アジアの大寺院は、総て大乗仏教寺院だった。

また、シュリーヴィジャヤ王国(5~13世紀)はパレンバンを首都、ケダーを副都として12ヶ国を従える大帝国であり、ここも大乗仏教の国だった。

その後、クメール、チャンパは上座部仏教になり、ジャワはイスラム教になり、シュリーヴィジャヤ王国は滅亡した。

1203年、インドに侵攻したイスラム教のゴール朝がヴィクラマシラー寺を破壊し僧侶を惨殺した。これにより、インド仏教は滅亡する。この時、多くのインド仏教者の逃げれた場所はチベットであり、それが現在のチベット仏教になる。

何故、隣のスリランカやビルマに逃亡出来なかったのは、両国には仏教論争で大乗仏教に負けて国外逃亡していた上座部仏教が隆盛を極めていたため、インドの大乗仏教・密教者はスリランカやビルマには入れなかった。


何故、東南アジアは上座部仏教になったのか

1、インド仏教の滅亡以前に、インドから仏教論争で負けて逃亡していた上座部仏教の仏教者の必死の努力で、東南アジアに上座部仏教広まったと考える。

2、上座部仏教と大乗仏教の現在の布教状況を見ると、食物の豊富な東南アジアは上座部仏教であり、気候と食物の厳しい中央・東アジアが大乗仏教である。なぜなら、食物事情の厳しい所では大勢の托鉢僧を養う事は大変であり、物理的に出来ないと思う。


ミャンマーのバガン遺跡 2000を超す仏塔が見事だ



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