インドの仏教 INDEX HOME



■ インドの仏教(誕生から滅亡まで)


サンチーのトナラ彫刻
サンチーのトナラ彫刻
1、アーリア人の侵入

アーリア人は、紀元前2000年頃にイランからインド北西部に侵入した。前1500年頃には、インダス文明を取り入れたヴェーダ聖典が編纂され、これに基づくバラモン教を信仰した。


2、反バラモンの宗教改革運動

紀元前400年頃には、バラモン教の僧侶の腐敗がひどくなり威信を失っていった。宗教改革運動が起こり、出来上がったのが仏教とジャイナ教である。仏教は支配階級層に拡がり、ジャイナ教は商人層に拡がった。このため、従来のバラモン教は変貌を迫られた。

・仏教、教祖釈迦…紀元前466年頃誕生
・ジャイナ教、教祖マハーヴィーラ…紀元前444年頃誕生


3、ヒンドゥー教の成立

新興勢力の仏教とジャイナ教の興隆のもと、劣勢のバラモン教は体系化されヒンドゥー教へと変容していった。この頃のヒンドゥー教や仏教やジャイナ教の区別はほとんどなく、大きな違いはヒンドゥー教がカーストを認めるのに対し、仏教やジャイナ教はカーストを認めないことである。


4、ヒンドゥー教の隆盛と仏教の衰退

4世紀にグブタ朝はヒンドゥー教を国教と定めヒンドゥー教を手厚く保護した。これによりヒンドゥー教は圧倒的な勢力を持つようになる。そして、ヒンドゥー教の発展と仏教の支持者の富豪商人の衰退(後漢及び西ローマ帝国の滅亡による海のシルクロードの経済活動の停滞)が、仏教をヒンドゥー化へと向かわせた。


5、仏教のヒンドゥー化

その後もインドではヒンドゥー教が民衆に信仰されて隆盛を誇る。反面、仏教はインドでは衰退し、東南アジア、東アジアで盛んになる。そして、仏教は生き残るため7世紀にヒンドゥー教の一派であるタントラ教の教義を取り入れて密教となった。


6、イスラムの侵入

13世紀を過ぎると、ユダヤ教、キリスト教の後を受けて成立した一神教のイスラムが、インダス川を越えてインドに入り込んできた。多神教のヒンドゥー教や仏教と一神教のイスラムは根本教義が異なり、それぞれの宗教の信者は対立することになる。


7、インド仏教の滅亡

1203年、イスラム教のゴール朝が東インドの密教の根本道場だったヴィクラマシラー寺を破壊し僧侶を惨殺した。これにより、インド仏教は滅亡する。この時、多くのインドの仏教者は国外に逃亡するしかなかった。


8、インド仏教のチベットへの逃亡

インドの仏教者が隣のスリランカやビルマに逃亡出来なかったのは、両国には仏教論争で大乗仏教に負けて国外逃亡していた小乗仏教が隆盛を極めていたため、インドの大乗仏教・密教者はスリランカやビルマに入れなかった。多くのインド仏教者の逃げれた場所はチベットであり、それが現在のチベット仏教になる。

ちなみに日本に中国経由で伝来した密教は8世紀の中期密教であり、チベット仏教は12世紀の後期密教である。


9、インドのイスラム化

イスラム勢力は一神教のキリスト教やユダヤ教には寛大であるが、多神教の仏教やヒンドゥー教、ジャイナ教には徹底破壊で臨んだ。しかし、イスラム化の中でヒンドゥー教やジャイナ教が存続していることを考えると、仏教だけが滅亡したのは、それ以前に民衆の支持が得られなくなっていた事が大きな要因の一つだろう。



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