王道と宿駅・施療院 INDEX HOME



■ 宿駅について


宿駅の Ta Muan 遺跡 タイ、スリン県

■宿駅の呼び方

ルイ・フィノ(Louis Finot)は、Dharmasala(ダルマシャーラー・慈善施設の意味)と呼んだ。

House of Fire(炎の家)とも呼ばれ、これは旅人が王道上で立ち寄る「灯明のある家」の意味であり、ラテライトと砂岩造りの祠堂であった。その、棟続きにはいくつかの木造家屋が建っており、軍隊や官吏・商人・村人が宿泊していた。なお、聖火を灯すことはクメール寺院では重要な儀式であり、そのために番人が配属されていた。

碑文による往時の名称は、Akni Guriha(サンスクリット語で灯明のある家)であり、現在カンボジアでは Sala Somnak(宿駅)と呼んでいる。

周達観の「真臘風土記」では、「大路上にはそこに休息の場所がある。郵亭(宿駅)のごとし」と記されている。


■宿駅の存在数

ブリアカーン碑文(1191年)によると、ダルマシャーラー(仏法の家)が国内の幹線道路に沿って121ヶ所存在した。これらの宿駅の配置を調べてみると、国内の北部地方に多く見られ、南部地方は少ない。何故なのだろう?

・アンコールからチャンパの首都の間に57棟。
・アンコールからピマーイ間に17棟。
・アンコールからプノンチソールに向い、戻る間に44棟。
・プノンチソールに1棟。
・不明2棟。
・計121棟。

これらの宿駅は、現在約50ヶ所(25ヶ所の説もある)の所在位置が判明している。ピマーイへの約300キロの沿道にある17棟のうち、カンボジアで7棟、タイで8棟の計15棟が確認され、これらの間隔は11キロから20キロ間隔(徒歩3~5時間)で設けられている。


■宿駅はジャヤヴァルマン7世の建設か?

宿駅はジャヤヴァルマン7世が整備したが、11世紀のサドックコックトム碑文(119節)に「道中には、旅人のための宿と貯水池がある」と記されているので、ジャヤヴァルマン7世以前にも宿駅があったので、全てがジャヤヴァルマン7世の建設とはいえないと考える。

転用材が多用に使用されているものもあり、ジャヤヴァルマン7世が建造時に周辺の建物から転用したと思われる。



■宿駅の構造

現存する宿駅は、ラテライトや砂岩の組積造(建材を積み上げて外壁・内壁といった壁面をつくり、壁によって屋根・天井などの上部構造物を支える。)で、他の寺院には見られない独得の形状をしている。高窓があることを共通点に、経蔵の発展形との説もある。

宿駅は塔状の建物に細長い拝殿が付属した単体の建物で、原則的に東を向いている。また、東西2方面に扉口を開き、南側の壁面に5つの窓を設けている。東面する宿駅が王道の北側に配置された事により、窓が王道に面した南側に設けられたと考えられている。

この南側の王道に面した窓は役所の窓口の役割を果たし、宗教と実務的なものが一緒になっていたと考えられる。礼拝と執務の空間が一緒の建物にあった形式は、カンボジア以外でも古代ではよく見られるという。

バイヨンの南面の宿駅と思われる情景の場面のレリーフから、現存する建物は道中の無事を祈る場であり、宿泊場所は近くに木造建築であった可能性が指摘されている。


■掲示板に「バンコク探険ノート」のShinjiさんからの投稿です。
[911] Shinji 2007/08/20 20:55:26   

アンコールとピーマイを結ぶ「王道」を調査しているタイ・カンボジアの合同プロジェクト(2005年発足)があるんですが、その調査結果(中間発表)が8月18日のバンコクポストで紹介されました。Ta Muan 遺跡の南側に新たに Prasat Chan、Kok Phnov、Ampil という3遺跡が確認され、「王道の Ta Muan 通過説」が有力になったそうです。

王道を辿って Ta Muan からダンレック山脈を南下してカンボジア平原に達する散策路(標高差100m)が整備されれば観光目玉になりそうですが、残存地雷の除去はテクニカルな問題としても国境線の画定は相当揉めそうなので、当分の間は実現しそうもないです。あるいはカンボジア側からは、適切なガイドを雇って Prasat Chan まで行く事は容易になるとは思いますが。

地雷のおかげで乱開発を免れてきたこのエリアですが、今後は観光の為に森林が切り開かれて静寂が失われるのかと思うと、心中穏やかでないものがあります。

バンコクポスト紙より


■タイ東北部(イサーン)に於ける宿駅の地図

作者が2009年1月に実際に探訪して作成したもの。




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