クメール遺跡の紹介 (ラオス) INDEX HOME
01 Vat Phou

年代:  5世紀?~
創建者: ?
宗教:  ヒンドゥー教



2007/09

ワットプー遺跡の入口のチケット売り場。

入場料、30000キップ又は3ドル。




ワットプー遺跡の展示ホールに行く。

展示ホールの中央に5世紀頃の巨大なリンガ(Linga)が置かれている。



展示されているこのまぐさ石(Ban Wat Luang Kao 出土)の両端に居る、マカラの口から伸びるベルト状紋様と中央の馬蹄型アーチの飾りは、間違いなくクメールのまぐさ石のレリーフ中で最も古いサンボールクック様式だ。と言うことは7世紀初頭の物なのか?とするとやはりワットプーは、間違いなくクメール族の揺籃の地であると言えるだろう。


参道の長さは二百五十メートル。

参道の両脇にはリンガ型の境界石の列柱が並んで、一直線に山腹にある主殿に向っている。

ワット「寺」、プー「山」、すなわち「山寺」。名前そのままの景観だ。



北宮殿は別名、男の宮殿と呼ばれている。大きさは62メートル×42メートル。11世紀の建立と言われている。


北宮殿の東側の破風に彫られた、聖牛ナンディンに乗ったシヴァ神と妻のウマのレリーフ。


北宮殿の東側の偽扉の凹凸や側柱(コロネット)や付柱(ピラスター)がきれいに残されている。



南宮殿は別名、女の宮殿と呼ばれている。南と北の宮殿は昔からあった別の建築物を建て替えたものだという。


十字型テラスには門衛神のドヴァラパーラ(Dvarapala)の像が立っている。

脇には花や線香の売店がある。

ここにもプルメリアの木のアーチがある。乾季には香りの良い白い花をつけるという。


十字型テラスの門衛神のドヴァラパーラの像。


ストゥーパのテラスに通じる砂岩の階段は長い間の年月で湾曲している。


ストゥーパのテラスとプルメリアの木のアーチ。



階段を登りきった本殿のあるテラスから眺めた景色。今歩いて来た遺跡群とチャンパサック平原。そして、はるか彼方にメコンとボーラウェン高原の山並みが見える。


本殿が見えて来た。

思ったより小さい。屋根は崩れトタンで修復してある。


本殿入口の向って左側の女神(デヴァター)像。

髪を洗う女性が右手に髪の毛を持ち、左手に水壷を持っている。


本殿入口の向って右側の女神(デヴァター)像。イサーンのスリンにあるシーコラプームの女神像に似ている。




本殿の入口のまぐさ石のレリーフ。3頭象のアイラーヴァタに乗るインドラ神。両端のカーラの表情がいい。


本殿に安置された、後世の16世紀頃にラーンサーン王国により持ち込まれた稚拙な仏像。

でも、この上座仏教の仏像があったおかげで人々の信仰を得、曲がりなりにもこのワットプー遺跡が破壊からま逃れて残ったのかも知れない。


本殿の拝殿部の後ろに続いて建っているレンガの祠堂の屋根は無い。

このレンガの祠堂は6世紀頃のワットプーのクメール最古の建物か?それとももっと前の先住民のチャンパのものか?


本殿の北側にある岩にヒンドゥー教の3神が彫られている。向って左から、ブラフマー、シヴァ、ヴィシュヌ神。


本殿の北側に行く。この辺りの遺跡群は6世紀のクメール以前と考える。

先クメールの国家形成と係わる重要な遺跡群だろう。

チャンパサック地域の古代の都市遺跡と関係あるのだろうか?

きれいな円が彫られた石。

蛇の岩


本殿裏の聖水は、洞窟上部から滴り落ちる水をトタンの樋で集めている。

この聖水が石樋を通して、レンガ造りの祠堂に安置されたヨニ(女性器)の上に置かれたリンガ(男性器・シヴァ神)に注がれていたようだ。

そして、北側に向けて前述のマカラの口から排水された。


「ふうみん」は聖水を少し飲んでみたが、お腹は大丈夫だった。


経蔵から西北方面の石組みを望む。

創建当時のワットプーは、かなり大規模な建築だったのだろう。
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