クメール遺跡の紹介 (カンボジア) INDEX HOME
16-01 Banteay Chhmar 年代 : 12世紀後半
創建者 : ジャヤヴァルマン7世
宗教 : 仏教


2007/06

やっと、バンテアイチュマールの案内板が出ていた。

シェムリアップから悪路を5時間弱のドライブだった。腰が痛い。


バンテアイチュマールの入り口に着いた。

バライの中に一本道があり、入り口には阿修羅像がある。

ここバンテアイチュマールはジャヤヴァルマン7世が建造した。

発見された碑文の内容から、ジャヤヴァルマン7世の息子のスリンドラクマラの墳墓であるとされている。


入り口にはバーが閉めてあり、誰も居ない。ドライバーが係員を捜しに行く。


入り口の塔門に彫られたデヴァター像。

我々を歓迎してくれるのかな?


やっと、係員がやって来た。ボロの小屋の台で名前を書き、一人10ドルの入場料を払う。

そして、ガイドが付くという。

左りから、ドライバー、「ふうみん」、係員、ガイド。


東塔門に行く途中に、ジャヤヴァルマン7世が121ヶ所に設けた「ダルマシャーラー」と呼ばれる「宿駅」がある。

アンコールのブリアカーンやタイのタームアン遺跡で見たが、どちらも修理の手が入っている。

ここの宿駅は全くの手付かずで残っている。オリジナルの宿駅に感激!


外回廊にはチャンパとの戦いのレリーフ。

バイヨンと同じだ。

破風のレリーフ。


小さなバライがあった。


東塔門から入る。ガイドの先導、それに続くドライバーと「ふうみん」。

最後を歩く「yayo」に、地雷があるかも知れないので、前の人と同じ所を歩くように強く指示した。



「ふうみん」がバンテアイチュマールで見たいレリーフがあった!と喜んだが、無残にも2ヶ所も顔が削り取られていた。

四面神プラフマーと聖鳥のハンサ。それに竪琴の演奏者、崇拝者のレリーフで、「ふうみん」の蔵書「KHMER MYTHOLOGY」の写真で、竪琴の演奏者の表情が印象的で覚えていた。本の写真では顔がちゃんと付いている。ということは、削り取られたのはつい最近だ。


デヴァターが力強く官能的だ。

まるで、「千夜一夜物語」のハーレムの踊り子見たいだ。


ガイドが崩れた祠堂の柱を指差す。

多分、貴重な碑文なのだろう。


崩れかけた門を木で支えている。


遺跡の暗闇に光る蜘蛛の巣。


回廊内の中央本殿の祠堂は崩壊が激しい。

足元には崩れた石が転がっている。


四面仏尊顔塔が残っていた。

バイヨンに比べ彫が浅く、尊顔を見逃すところだった。


バイヨンに比べると、あの迫力は無く可愛らしい。

いかにも地方の四面仏だなあと感じる。


石の瓦と、屋根飾りの仏像。


破風の千手観音像。



バンテアイチュマールの一番の見所は外回廊の千手観音像だ。昔は8体在ったらしいが、現在残るのは2体のみだ。こちらが一番有名な千手観音像で実際の手は32本。


千手観音の尊顔。


左隣の千手観音像の実際の手は20本。

1999年の初頭、多数の千手観音像や彫刻がトラック5台を使って盗み出された。

その内1台はタイの国内で捕まり、千手観音像2体分はカンボジアに返還されプノンペンの博物館に保管されている。

しかし、他の4台分は行方不明だ。この盗難事件は噂によるとタイの軍部が絡んでいるという。


千手観音像の下にはアプサラが彫られていた。


上の場面では、ジャヤヴァルマン7世の息子の王子と怪獣と戦い。


下の場面では、怪獣が人と車を飲み込んでいる。


ガイドについて外回廊のレリーフに向う「ふうみん」。

雑草の中に多数の崩壊した石。その石の中には浮き石があり、足元には十分の注意が必要だ。


作成当時はこの様な朱色に塗られていたのか?


ジャヤヴァルマン7世の姿が大きく描かれたレりーフ。


戦闘用の象のレリーフは迫力がある。


東西800メートル南北600メートルで、アンコールワットのような環濠で囲まれている。


バンテアイチュマールの入り口を出た東南の角に大きな木があり、それを日除けにする様に食堂や店が出ている。

いかにもカンボジアの片田舎の雰囲気があり、いい感じだ。

ここで昼食を摂った。
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