13 Koh Ker |
年代 : 928年
創建者 : ジャヤヴァルマン4世
宗教 : ヒンドゥー教 |
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2007/06 |
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コーケーの入場券、10ドル。
No、2141と若い。まだ、2141人しか訪れて居ないのかな。 |
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ベンメリアから先はダート道になるが、路面の状態はいい。
牛車がのんびりと走る。その横を追い抜いていく。 |
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入場券のチェックゲート。
もう少しでコーケーだ。 |
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シェムリアップから北東へ120キロ。
2時間45分でコーケーに到着。
早速、王宮と反対側の小遺跡群を見学。コーケー様式の屋根の曲線が目に付く。 |
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レリーフの砂岩と後は警備員の女性。 |
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逆光の中の遺跡群。
ここ、コーケーが王都であった期間は928年~944年の16年間に過ぎない。
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連子窓も綺麗に残っている。 |
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王宮の入り口の東塔門。 |
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東塔門横のし獅子像。 |
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東塔門のコロネット(側柱)とまぐさ石。
まぐさ石は崩落が激しい。 |
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コロネットの文様は、昨日見たバンテアイスレイの文様に似ている。
コーケー様式(921~944)
プレループ様式(944~968)
バンテアイスレイ様式(967~1000)
の違いが、素人目には区別がつかない。 |
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東塔門の内部と警備員の女性。 |
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東塔門からの参道にはナーガの欄干がある。
このナーガはバコンのナーガによく似ている。
バコンのナーガはプリアコー様式(877~886)だ。 |
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ナーガの欄干横にはバライがある。 |
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コーケー様式のまぐさ石。
コーケー様式のまぐさ石とは…中央の神や人物像が主体となり、躍動的に彫刻された葉状文様の末端は渦巻き。上部には行者や神々が並列に彫られる。 |
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参道の柱は見事に倒れている。 |
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面白い物を見つけた。
立柱の上に梁が渡してある。その梁を固定する為に、凹凸が刻んである。 |
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破風にあるレリーフは何が刻んであるか、判然としない。 |
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ウマの頭部が引っくり返っていた。 |
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デヴァターを見つけたが、残念な事に顔が削り取られている。 |
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遺跡内には大樹が多い。 |
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王宮の中を歩いていくと周壁の門の間から、目指すプラサートトムのピラミッドが見えてきた。
思わず感激! |
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プラサートトムはピラミッド型の国家鎮護の寺院で、第一基壇は55m×55mあり、その上に7層の基壇を積み最上階には黄金のリンガが輝いていたという。高さは36m。
こんな大建築をアンコールから100キロ以上離れた場所に何故造営したのか?わずか16年のために? 全くの謎としか思えない。 |
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物凄く急な階段を登る「ふうみん」。
特に最後の階段は急だ。木の手すりも熱いし、石も熱い。 |
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後から、やっとの思いで登って来た「yayo」は
…「これに比べればアンコールワットの階段なんか比べ物にならないぐらい楽ね」といった。
まさに…実感。
現在は登頂禁止。 |
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頂上部分は大きな穴になっていた。 |
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ここにガルーダ4体が支える大台座があり、黄金のリンガが輝いていたというが、今はその面影は無い。
ある本には…「頂上の祠堂は完成たように見えない」と書いてあるが、全く同感だ。 |
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東方面を望む。正面に見える山はクーレン山だ。素晴らしい景色だ、アンコールの王になった気分だ。
この頂上に何と先客がいた。それも日本人だ。山梨に住む「U」さんといい、クメール遺跡が好きだという。4WDをチャーターして遺跡巡りをしているという。今日、コーケーに来た「U」さんは、ガイドから「今日の見物客は一人だけだ」と言われていたから、日本語が聞こえビックリしたという。 |
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西北方面を望む。小さく見える山並みは、タイとの国境のドンレック山脈だ。
「U」さんから6大遺跡の情報を聞く。 バンテアイチュマールの遺跡は大変素晴らしい。ただし、道が劣悪なので4WDで無いと無理だと思う。サンボールプレイクックと大ブリアカーン(今年から遺跡見学が解禁となった)とプリアヴィヘアへは雨季の為、通年より1ヶ月早く道路が通行止のため訪問不可能との事。
今日はコーケーを見た後はベンメリアに寄るという。同じコースだ。挨拶をして別れる。 |
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王宮の中を戻る。遺跡は全くの手付かず状態だ。 |
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どんな彫像があったのだろう?
台座が付いていると重く運びずらい為、足元から削り取って盗む。
カンボジア人が貧困の為、カンボジアの至宝を盗む。なんともやりきれない思いだ。
先ほどの入場料の10ドルも遺跡の保存に使われず、カンボジアと犬猿の仲のヴェトナムの企業に入るという。
そして、そのおこぼれはカンボジアの政府高官へのワイロだ。 |
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トイレに行ってビックリした。この山奥に、場違いにキレイな水洗トイレだ。
こんな立派なトイレを作るのは、これから大勢の観光客を呼ぶための環境整備だ。
きっと10年後には、このコーケー遺跡もポピュラーな遺跡になって居るだろう。
地球の歩き方’07~’08の最新号には、まだコーケーの紹介は無い。今はまだ、とてもマイナーだ。 |
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コーケー遺跡の駐車場にある食堂で昼食を摂る。
電気が来ていないので冷たいビールは無いと思っていたが、氷で冷やしたビールがあり感激!
食事は思った通り旨くない。昼食代6ドル。
食堂の女の子は元気だ。 |
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昼食後に周辺の遺跡を巡る。
他所では見た事も無い巨大なリンガ。 |
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横の偽扉からは、リンガに注いだ聖水を流す排出口が設けられている。 |
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まさにコーケー様式の門だ。昨日見たバンテアイスレイを思い出す。 |
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土に埋もれた遺跡。 |
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まぐさ石と破風のレリーフ。 |
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コーケーには煉瓦の祠堂も多い。 |
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この様な荒れ果てたままの遺跡が多い。
何か不気味で、人の歩いた跡の所以外は地雷が怖い。 |
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黒く、くすんだ祠堂。
このコーケー遺跡の詳しいガイドは手元に無く、詳しい建物の状況は分らない。
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「東南アジアの遺跡を歩く」の著者高杉等さんからのご指摘
黒いくすんだ祠堂はPrネアンクマウです。プノンペン南郊の有名な彫像の出土した祠堂と同じ名前です。
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さあ、車に乗り次の目的の遺跡、ベンメリアに向おう。 |