クメール遺跡の紹介 (カンボジア) INDEX HOME
10 Chau Srei Vibol

年代:  11世紀
創建者: ?
宗教:  ヒンドゥー教



2007/10

チャウスレイヴィボールにやっと着いた。

仏教寺院の駐車場に車を停めてラテレライトの低い塀越しに坂道を登る。


崩れた祠堂に向う途中に新しい仏教寺院が建てられていた。


チャウスレイヴィボールは自然の丘をラテライトの壁で囲み、その外側を環濠で囲んでいる巨大な遺跡だ。


丘の頂上の祠堂は崩壊が激しく、石材が散乱している。



崩落した左側の経蔵?にかろうじて残っていたまぐさ石。カーラの上に乗る神像が描かれている。多分11世紀頃のパブーオン様式と思われる。


東側の楼門に残っていた、まぐさ石と破風のレリーフ。

この先の東側の斜面に参道が続き、その下にはラテライトの階段がある。


経蔵はどうにか原型をとどめている。


回廊の屋根は残っている。


偽扉。朱色の彩色の跡が残っている。


斜面の参道には、首の無い獅子像が佇んでいた。


斜面の参道下にある建物。


丘の南側には木の階段(腐っていて危険)を降りる。


その下には回廊風の砂岩で出来た長方形の建物がある。

この細長い建物は3棟並んでいる。


回廊風の建物の端には似扉がある。

この建物は何なのだろう?調べるとポルポト時代に捕虜の収容所として使用されたと言う。

と言うことは、11世紀の建造時僧侶(神官)の宿泊設備(僧坊)かと思ったが、アンコール遺跡では、石=神の住む場所であり、人は王であれ木造に住んだと言う、そういう事から考えるとありえない。

そうすると何なのだろう?


回廊風の建物の先には立派なラテライトの塀が残されている。


丘の上に戻ると三角形の見た事も無い建物があった。

これは勝手な想像だが、石の積み方が雑なので、ポストアンコール時代に崩れた石材を使用して造られた物ではないかと思う。


西門の破風には、横たわるヴィシュヌ神?のレリーフ。


丘の麓にはラテライトで造られた立派な壁が続いている。


遺跡の丘の隣には仏教寺院があり、駐車場になっている。
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